ジミー・コナーズ:Jimmy Connors

ジミー・コナーズ(Jimmy Connors)は、アメリカ・イリノイ州ベルビル出身の元男子プロテニス選手。
■国籍 アメリカ
■出身国/居住国 アメリカ/アメリカ
■生年月日 1952年9月2日
■性別 男
■利き腕 左利き
■身長 177 cm
■体重 70 kg
■プロ転向日 1972年
ジミー・コナーズのフルネームは James Scott Connors (ジェームズ・スコット・コナーズ)という。
ライバルのビョルン・ボルグ、ジョン・マッケンローらと並び、男子テニスの歴史を通じて最も輝かしい黄金時代を築いた名選手のひとりである。
左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
ジミー・コナーズの4大大会通算8勝は、フレッド・ペリー、ケン・ローズウォール、イワン・レンドル、アンドレ・アガシと並ぶ男子テニス歴代7位タイ記録である。
ATPツアーでシングルス109勝を挙げた。
闘志溢れるプレーで高い人気を集め、観客を自分の味方につける術にも優れていた。
(コナーズのシングルス優勝回数は、ATPツアーサイトでは「105勝」となっている。)
ジミー・コナーズは、1974年に全豪オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープンで4大大会年間3冠を獲得する。
ウィンブルドンと全米オープンでは、当時39歳を迎えていたオーストラリアのベテラン選手、ケン・ローズウォールに連勝した。
同年7月、初めて世界ランキング1位になり、それから「160週」連続で世界1位の座を保持した。
この頃ジミー・コナーズは女子プロテニス選手のクリス・エバートと交際し、テニス界のビッグ・カップルとして話題を集めたが、後日婚約破棄に終わった。
1974年から1978年まで、5年連続で全米オープン決勝戦に進出したが、1976年と1978年の決勝戦ではビョルン・ボルグを破って優勝。
1975年と1977年は準優勝になっている。
その後、ジミー・コナーズはしばらく4大大会の優勝から遠ざかっていたが、1982年のウィンブルドンで8年ぶり2度目の優勝を飾る。
大会2連覇を目指したジョン・マッケンローとの4時間15分の熱戦を制し、4年ぶりのグランドスラム優勝を決めると、続く全米オープンでも4年ぶり4度目の優勝を果たす。
1983年の全米オープンで2年連続5度目の優勝、4大大会通算8勝目を挙げた。
これはジミー・コナーズのプロ通算「100勝目」の記念碑的な優勝となる。
最後の2度の全米オープン決勝戦では、チェコスロバキアのイワン・レンドルに2連勝した。
全米オープン5勝は、ピート・サンプラスと並ぶ大会歴代3位タイ記録である。
全仏オープンのみ優勝できず、4度の準決勝止まりに終わった。
最後の優勝から8年後、1991年の全米オープンで、コナーズは39歳のノーシード選手ながらベスト4に進出した。
準決勝で当年度の全仏オープン優勝者ジム・クーリエに敗れたが、
ジミー・コナーズの久々の活躍はアメリカのテニスファンを大いに沸かせた。
1992年に40歳で第一線を退いたコナーズは、世界ランキング1位の生涯保持記録「268週」(男子歴代3位)を残した。
現役引退後、35歳以上の選手を対象にした男子テニスのシニア・ツアーを提唱したのはジミー・コナーズである。
1998年に国際テニス殿堂入りを果たした。2006年7月26日、コナーズはアンディ・ロディックのコーチに就任することを表明した。
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