ヴィーナス・ウィリアムズ:Venus Williams

ヴィーナス・ウィリアムズ(Venus Williams)は、アメリカ・カリフォルニア州リンウッド出身の女子プロテニス選手。
■国籍 アメリカ
■出身国/居住国 アメリカ/アメリカ
■生年月日 1980年6月17日
■性別 女
■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち)
■身長 185 cm
■体重 72 kg
■プロ転向日 1994年
ヴィーナス・ウィリアムズは、5人姉妹の4女として生まれる。
1994年10月、同じ年のマルチナ・ヒンギスと同時期に14歳でプロ転向。
しかし学業を優先する父親リチャードの教育方針により、最初の2年間は出場試合数を絞っていた。
1997年3月からヴィーナス・ウィリアムズはWTAツアーに本格参戦を開始。
同年の全仏オープンで4大大会にデビューする(1回戦の相手は日本の沢松奈生子選手であった)。
1997年の全米オープンで、世界ランキング66位のノーシードから決勝進出。
ヒンギスに 0-6, 4-6 で完敗したが、黒人少女の登場は強烈な印象を与えた。
この頃から妹のセリーナ・ウィリアムズとともに、黒人スポーツ選手として“テニス版タイガー・ウッズ”を目標にしてきた。
ヴィーナス・ウィリアムズは1998年3月に世界トップ10入り。
1999年3月の「リプトン国際選手権」で、妹セリーナと初めての“姉妹対決の決勝”を戦う。
セリーナが1999年の全米オープンで優勝したため、4大大会優勝では妹に先を越されたが、ヴィーナスは2000年のウィンブルドン選手権で4大大会初優勝を果たした(この時は準決勝でセリーナと姉妹対決をしている)。
同年の全米オープンで4大大会に2連続優勝。シドニー五輪でも単複の金メダルを獲得し、シングルス「35連勝」を記録した。
2001年もウィンブルドンと全米オープンで大会2連覇。
2001年の全米オープンで、姉妹の宿願であった「4大大会の姉妹対決決勝」を実現させる。
最初の時は姉のヴィーナスが勝利した。
2002年2月、黒人の女子テニス選手として初の世界ランキング1位になる。
しかしこの頃から妹セリーナとの力関係が逆転し始めた。
2002年全仏オープンから2003年全豪オープンまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝を実現させるが、妹セリーナに4連敗を喫してしまう。
2003年のウィンブルドンでも決勝でセリーナに敗れた。
その後姉妹2人ともに体調を崩し、2003年度テニス・ツアーの後半戦を欠場する。
姉のヴィーナスは2004年1月からツアーに復帰したが、しばらく4大大会で不本意な早期敗退が続いていた。
しかし2005年のウィンブルドンで復活を遂げ、4年ぶり3度目の優勝を飾る。
第14シードの低位置から勝ち進み、準決勝で大会前年優勝者のマリア・シャラポワに快勝し、決勝戦では(5年前の初優勝と同じ顔合わせ)リンゼイ・ダベンポートに 4-6, 7-6, 9-7 で競り勝った。
ヴィーナス・ウィリアムズの最大の武器は、時速200kmを超える高速サーブである。
最大のライバルであるマルチナ・ヒンギスの頭脳プレーに打ち勝つため、持ち前の体格で強力なパワーテニスを編み出してきた。
そのため、姉妹ともに多くの故障に悩まされてきた。
姉妹の4大大会ダブルス優勝は6度あり、シドニー五輪のダブルス金メダルも獲得した。
初めて姉妹ダブルスで4大大会に出場した1998年全豪オープンでは、3回戦で日本の雉子牟田直子&宮城ナナ組に敗れている。
1999年全仏オープンの女子ダブルス決勝でマルチナ・ヒンギス&アンナ・クルニコワ組を破って初優勝して以来、姉妹で組めば無敵の強さを誇ってきた。
しかし、2003年のウィンブルドン女子ダブルス3回戦で、姉妹はロシアペアのエレナ・デメンティエワ&リナ・クラスノルツカヤ組に敗退した。
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