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マルチナ・ヒンギス:Martina Hingis

マルチナ・ヒンギス ウィンブルドン

マルチナ・ヒンギス(Martina Hingis)は、スイスの女子プロテニス選手。

■国籍 スイス

■出身国/居住国 スロバキア/スイス

■生年月日 1980年9月30日

■性別 女

■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち)

■身長 170 cm

■体重 59 kg

■プロ転向日 1994年


マルチナ・ヒンギスは、チェコスロバキア(現スロバキア)のコシツェに生まれる。

右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

安定したバックハンドのストレートを武器にする、融通のきく頭脳プレーの名手である。

マルチナ・ヒンギスは早熟選手であったことから、女子テニス界における数々の最年少記録を保持している。

16歳の時に達成した4大大会初制覇(1997年全豪オープンに16歳3ヶ月で優勝)、世界ランキング1位(16歳6ヶ月)、4大大会年間3冠獲得はすべて歴代最年少記録である。


マルチナ・ヒンギスは、1994年10月14日、14歳の誕生日の2週間後にプロデビュー。

直ちに1995年の全豪オープンで4大大会に初出場を果たし、同年の女子テニス協会「最優秀新人賞」を受賞する。

1996年10月にドイツ・フィルダーシュタットの「ポルシェ・グランプリ」でWTAツアー初優勝。

女子ツアー年間最終戦(当時の名称は「チェイス選手権」)に大会初出場で準優勝、年末の最終ランキングを4位に上げる。

1997年1月25日、4大大会史上最年少の「16歳3ヶ月」で全豪オープン初優勝を達成。

同年3月31日に「16歳6ヶ月」で史上最年少の世界ランキング1位になり、こうしてヒンギスはモニカ・セレシュが持っていた2つの最年少記録を更新した。(セレシュの記録:1990年全仏オープンに16歳6ヶ月で優勝、1991年3月に17歳3ヶ月で世界ランキング1位)

その後、マルチナ・ヒンギスは、ウィンブルドン、全米オープンも制覇し、史上最年少の16歳で4大大会3冠を達成した。

ヒンギスは少女時代から日本での広告出演で人気を獲得し、グリコの「カフェオーレ」(1996年)やタニタのヘルスメーター、日本食研の「バランスデイト」(ともに1998年)のテレビCMで日本語を披露したことで、日本でも人気のある選手である。

しかしながら、あまりにも早くして頂点に上り詰めたせいか、ヒンギスは徐々にテニスへの情熱を失っていく。

この頃から女子テニス界は、リンゼイ・ダベンポートやヴィーナス、セリーナのウィリアムズ姉妹などのパワーテニスの時代になりつつあった。

情熱を失ったヒンギスは、彼女たちに押されてゆき、少しずつテニス成績が降下していった。

1999年全豪オープンを最後に、マルチナ・ヒンギスは4大大会のシングルス優勝から見放されてしまう。

唯一優勝がない全仏オープンでは、1997年の決勝ではクロアチアのイバ・マヨリに 4-6, 2-6 のストレートで敗れ、2年後の1999年にはシュテフィ・グラフとの“新旧女王対決”の決勝で 6-4, 5-7, 2-6 の逆転で敗れてしまった。

全豪オープンではシングルスで「6年連続」決勝進出の記録を持つが(1997年 - 2002年)、最初は大会3連覇、後は3年連続準優勝になっている。

2002年の全米オープン4回戦でモニカ・セレシュに完敗した後、2002年10月にドイツ・フィルダーシュタットの「ポルシェ・グランプリ」2回戦敗退を最後にツアーから離れ、2003年の全豪オープンの時期に新聞を通じて引退表明を行った。

それ以後は日本で開催される「ヨネックス・テニス・フェスティバル」に参加するなど、競技とは異なる分野でテニス振興活動を続けてきたが、2005年11月に次年度からの現役復帰を表明する。

その後、2006年1月にオーストラリア・ゴールドコーストの「モンディアル・オーストラリア女子ハードコート選手権」で現役復帰を果たし、フラビア・ペネッタ(イタリア)との準決勝まで勝ち進む。

全豪オープンで4大大会にも復帰し、1回戦でロシアのベラ・ズボナレワに快勝して再出発を飾り、第2シードのキム・クライシュテルスとの準々決勝まで勝ち進んだ(スコア:クライシュテルスの 6-3, 2-6, 6-4)。

2月の東レ・パン・パシフィック・テニス(東京体育館開催)にも4年ぶりに出場し、準決勝でマリア・シャラポワを 6-3, 6-1 で圧倒したが、2月5日の決勝戦でエレナ・デメンティエワに 2-6, 0-6 で敗れた。

3ヶ月後の5月21日、イタリア・ローマで行われた「イタリア国際選手権」決勝でディナラ・サフィナ(マラト・サフィンの妹)を 6-2, 7-5 で破り、復帰5ヶ月目で復活優勝を飾った。

5年ぶりの復帰となった全仏オープンでは第12シードを得たが、準々決勝でクライシュテルスに 6-7, 1-6 で連敗した。

その後はウィンブルドン3回戦で杉山愛に敗れ、全米オープンは2回戦で止まったが、8月下旬の「カナダ・マスターズ」準優勝で世界ランキングトップ10にも復帰した。

2007年の全豪オープンでは、2年連続でクライシュテルスに準々決勝で敗れたが、東レ・パン・パシフィック・テニスの決勝でアナ・イワノビッチ(セルビア)を 6-4, 6-2 で破り、大会最多の5度目の優勝を遂げた。

3月初頭にはカタール・ドーハ大会のダブルスでマリア・キリレンコ(ロシア)とペアを組んで優勝し、復帰後のダブルス初優勝を果たした。

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