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   <title>ウィンブルドン（全英オープンテニス）優勝選手名鑑</title>
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   <updated>2008-04-18T12:44:03Z</updated>
   <subtitle>テニス４大大会のひとつであるウィンブルドン（全英オープンテニス）の
概要、日程、歴史、過去の優勝選手などの情報をお届けします。
テニスプレーヤーの似顔絵は、当サイトオリジナルのものです。
写真とはまたひとあじ違った各選手の姿もどうぞお楽しみください。</subtitle>
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   <title>ウィンブルドン２００８年日程と開催地</title>
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   <published>2008-04-18T12:38:40Z</published>
   <updated>2008-04-18T12:44:03Z</updated>
   
   <summary> ２００８年のウィンブルドン（Wimbledon Tennis Champion...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="ウィンブルドン２００８年日程" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/win.jpg" width="200" height="150" align="left" vspace=5" hspace="10" />


<strong>２００８年のウィンブルドン</strong>（Wimbledon Tennis Championships、全英オープンテニス）は、6月23日（月）から7月6日（日）に行われます。

場所は、イギリスのロンドン郊外の高級住宅街である<strong>ウィンブルドン</strong>（Wimbledon ）のオールイングランドローンテニス＆クロケットクラブで行われます。

毎年、ウィンブルドン大会が開催される6月下旬から7月初旬にかけては、人口約5万人の町ウィンブルドンは、世界中からテニス観戦に訪れる人達で賑わい、活気に満ち溢れます。

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      町の人々にとって、ウィンブルドン大会は、夏の到来を知らせてくれる恒例行事ともなっています。


最寄空港：ヒースロー（Heathrow）
最寄り駅：サウスフィールド
コートまでの主な交通機関：バス、電車、地下鉄、タクシー

The All England Lawn Tennis Club
Church Road
Wimbledon
London SW19 5AE

Tel: (0)20 8944 1066
Email: internet@aeltc.com
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   <title>ウィンブルドンの歴史</title>
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   <published>2007-04-12T14:30:52Z</published>
   <updated>2008-04-18T12:52:07Z</updated>
   
   <summary> グランドスラム4大会中最も古い歴史を持ち、唯一の芝生のコートで行われるウィンブ...</summary>
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         <category term="030ウィンブルドンについて" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<img alt="ウィンブルドンの歴史" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/win2.jpg" width="200" height="150" align="left" vspace=5" hspace="10" />


グランドスラム4大会中最も古い歴史を持ち、唯一の芝生のコートで行われるウィンブルドン大会は、120年以上の伝統と格式を持ち、「白いウェア」が義務づけられています。
 この服装規定は、「プレドミナントリー・ホワイト」と呼ばれています。
ここでは練習の際にも、「プレドミナントリー・ホワイト」を義務づけているほどです。


・<strong>ウィンブルドン選手権</strong>の男子ダブルスは、男子シングルスの第1回大会から2年遅れて1879年に始まりましたが、1883年まではオックスフォードで開催されていました。]]>
      <![CDATA[1884年から男女シングルスと同じ「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」で行われるようになり、ウィンブルドン選手権公式サイトには1884年以後の記録が記載されています。

・<strong>ウィンブルドン選手権</strong>の女子ダブルスは1899年から始まりましたが、男女シングルスや男子ダブルスと並んで大会の公式競技に加えられたのは1913年以後であり、ウィンブルドン選手権公式サイトには1913年以後の記録が記載されています。

それ以前の女子ダブルス競技は“Non-Championship Event”（選手権公認外競技）と呼ばれ、現在はウィンブルドン選手権の公式記録に数えられていません。


・<strong>ウィンブルドンでは</strong>第1週と第2週の中間日となる日曜日（ミドル・サンデー）を休養日にする大会運営の伝統がありました。

しかし大会開催期間中は雨天で試合が中断・中止となるケースも多いのです。

1991年に日程消化の問題でこの伝統が初めて破られ、ミドル・サンデーに試合が開催されました。

その後1997年、2004年にもミドル・サンデーに試合が行われています。

そこで最近ではセンターコートと第1番コート（センターコートに隣接）に屋根を架設し、雨天中断をできるだけ抑制しようという動きもあるそうです。

また開催時期を雨天の影響が少ないとされる7月第1週～第2週にずらすことも検討していましたが、具体策に至っていないようです。

・2002年には1番コートの近くに、バックスクリーンで試合を観戦できる新スポットが設置され、当地の英雄ティム・ヘンマンにちなんで“ヘンマン・ヒル”という通称がつけられました。

通常、入場券は事前の前売り制で発売されますが、ミドル・サンデーの開催時には当日入場券が発売されます。
そのため、いつもは静かな会場が熱狂的なテニスファンでにぎわうことになります。

開催国イギリスの優勝者は、現時点では1977年の女子シングルス優勝者バージニア・ウェードが最後になっています。

男子シングルスでは1936年のフレッド・ペリー以後、地元選手の優勝者はいません（<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/030/post_1.html">ウィンブルドン現象</a>）。



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   <title>ウィンブルドン男子シングルス歴代優勝者</title>
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   <published>2007-04-11T16:50:24Z</published>
   <updated>2007-10-05T16:44:29Z</updated>
   
   <summary>１８７７年から１３０年続くウィンブルドンの男子シングルス歴代優勝者一覧です。...</summary>
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   </author>
         <category term="030ウィンブルドンについて" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/">
      <![CDATA[１８７７年から１３０年続く<strong>ウィンブルドンの男子シングルス歴代優勝者一覧</strong>です。]]>
      <![CDATA[<div class=block1>
<H3>ウィンブルドン男子シングルス歴代優勝者</H3>
<UL>
<li>　2007年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/federer.html">ロジャー・フェデラー（スイス）</a> </li>
<li>　2006年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/federer.html">ロジャー・フェデラー（スイス）</a> </li>
<li>　2005年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/federer.html">ロジャー・フェデラー（スイス）</a> </li>
<li>　2004年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/federer.html">ロジャー・フェデラー（スイス）</a> </li> 
<li>　2003年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/federer.html">ロジャー・フェデラー（スイス）</a> </li>
<li>　2002年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/080/hewitt.html">レイトン・ヒューイット（オーストラリア）</a> </li> 
<li>　2001年　ゴラン・イワニセビッチ（クロアチア）</li> 
<li>　2000年　 ピート・サンプラス（アメリカ)</li>
<li>　1999年　 ピート・サンプラス（アメリカ） </li>
<li>　1998年　 ピート・サンプラス（アメリカ）</li> 
<li>　1997年　 ピート・サンプラス（アメリカ）</li> 
<li>　1996年　 リカルド・クライチェク（オランダ）</li>
<li>　1995年　 ピート・サンプラス（アメリカ）</li>
<li>　1994年　 ピート・サンプラス（アメリカ）</li>
<li>　1993年　 ピート・サンプラス（アメリカ）</li>
<li>　1992年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/agassi.html">アンドレ・アガシ（アメリカ）</a></li>
<li>　1991年　 ミヒャエル・シュティヒ（ドイツ）</li>　
<li>　1990年　 ステファン・エドベリ（スウェーデン）</li> 
<li>　1989年　 ボリス・ベッカー（ドイツ）　</li>
<li>　1988年　 ステファン・エドベリ（スウェーデン）</li>
<li>　1987年　 パット・キャッシュ </li>
<li>　1986年　 ボリス・ベッカー（ドイツ） </li>
<li>　1985年　 ボリス・ベッカー（ドイツ） </li>
<li>　1984年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/mcenroe.html">ジョン・マッケンロー（アメリカ）</a></li>
<li>　1983 年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/mcenroe.html">ジョン・マッケンロー（アメリカ）</a></li>
<li>　1982年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/connors.html">ジミー・コナーズ（アメリカ）</a></li>
<li>　1981年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/mcenroe.html">ジョン・マッケンロー（アメリカ）</a></li>
<li>　1980年　 ビョルン・ボルグ（スウェーデン） </li>
<li>　1979年　 ビョルン・ボルグ（スウェーデン） </li>
<li>　1978年　 ビョルン・ボルグ（スウェーデン） </li>
<li>　1977年　 ビョルン・ボルグ（スウェーデン） </li>
<li>　1976年　 ビョルン・ボルグ（スウェーデン） </li>
<li>　1975年　 アーサー・アッシュ </li>
<li>　1974年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/connors.html">ジミー・コナーズ（アメリカ）</a></li>
      <li>　1973年　 ジャン・コデス </li>
      <li>　1972年　 スタン・スミス </li>
      <li>　1971年　 ジョン・ニューカム </li>
      <li>　1970年　 ジョン・ニューカム </li>
      <li>　1969年　 ロッド・レイバー </li>
      <li>　1968年　 ロッド・レイバー </li>
      <li>　1967年　 ジョン・ニューカム </li>
      <li>　1966年　 マニュエル・サンタナ </li>
      <li>　1965年　 ロイ・エミルソン </li>
      <li>　1964年　 ロイ・エミルソン </li>
      <li>　1963年　 チャック・マッキンリー </li>
      <li>　1962年　 ロッド・レイバー</li>
      <li>　1961年　 ロッド・レイバー </li>
      <li>　1960年　 ニール・フレーザー </li>
      <li>　1959年　 アレックス・オルメド </li>
      <li>　1958年　 アッシュリー・クーパー </li>
      <li>　1957年　 ルー・ホード</li>
      <li>　1956年　 ルー・ホード</li>
      <li>　1955年　 トニー・トラバート</li>
      <li>　1954年　 ヤロスラフ・ドロブニー</li>
      <li>　1953年　 ビック・サイシャス</li>
      <li>　1952年　 フランク・セッジマン</li>
      <li>　1951年　 ディック・サビット</li>
      <li>　1950年　 バッジ・パティー</li>
      <li>　1949年　 テッド・シュローダー</li>
      <li>　1948年　 ボブ・ファルケンバーグ</li>
      <li>　1947年　 ジャック・クレーマー</li>
      <li>　1946年　 イボン・ペトラ</li>
      <li>　1945年　 開催せず </li>
      <li>　1944年　 開催せず</li>
      <li>　1943年　 開催せず</li>
      <li>　1942年　 開催せず </li>
      <li>　1941年　 開催せず</li> 
      <li>　1940年　 開催せず</li>
      <li>　1939年　 ボビー・リッグス</li>
      <li>　1938年　 ドン・バッジ </li>
      <li>　1937年　 ドン・バッジ </li>
      <li>　1936年　 フレッド・ペリー </li>
      <li>　1935年　 フレッド・ペリー</li>
      <li>　1934年　 フレッド・ペリー </li>
      <li>　1933年　 ジャック・クロフォード </li>
      <li>　1932年　 エルスワース・バインズ </li>
      <li>　1931年　 シドニー・ウッド</li>
      <li>　1930年　 ビル・チルデン </li>
      <li>　1929年　 アンリ・コシェ </li>
      <li>　1928年　 ルネ・ラコステ </li>
      <li>　1927年　 アンリ・コシェ </li>
      <li>　1926年　 ジャン・ボロトラ </li>
      <li>　1925年　 ルネ・ラコステ</li>
      <li>　1924年　 ジャン・ボロトラ </li>
      <li>　1923年　 ビル・ジョンストン </li>
      <li>　1922年　 ジェラルド・パターソン </li>
      <li>　1921年　 ビル・チルデン</li>
      <li>　1920年　 ビル・チルデン</li>
      <li>　1919年　 ジェラルド・パターソン </li>
      <li>　1918年　 開催せず </li>
      <li>　1917年　 開催せず </li>
      <li>　1916年　 開催せず</li>
      <li>　1915年　 開催せず </li>
      <li>　1914年　 ノーマン・ブルックス </li>
      <li>　1913年　 アンソニー・ワイルディング</li>
      <li>　1912年　 アンソニー・ワイルディング </li>
      <li>　1911年　 アンソニー・ワイルディング </li>
      <li>　1910年　 アンソニー・ワイルディング </li>
      <li>　1909年　 アーサー・ゴア </li>
      <li>　1908年　 アーサー・ゴア </li>
      <li>　1907年　 ノーマン・ブルックス </li>
      <li>　1906年　 ローレンス・ドハティー </li>
      <li>　1905年　 ローレンス・ドハティー</li>
      <li>　1904年　 ローレンス・ドハティー </li>
      <li>　1903年　 ローレンス・ドハティー </li>
      <li>　1902年　 ローレンス・ドハティー </li>
      <li>　1901年　 アーサー・ゴア </li>
      <li>　1900年　 レジナルド・ドハティー </li>
      <li>　1899年　 レジナルド・ドハティー</li>
      <li>　1898年　 レジナルド・ドハティー</li>
      <li>　1897年　 レジナルド・ドハティー </li>
      <li>　1896年　 ハロルド・マホニー </li>
      <li>　1895年　 ウィルフレッド・バデリー </li>
      <li>　1894年　 ジョシュア・ピム </li>
      <li>　1893年　 ジョシュア・ピム </li>
      <li>　1892年　 ウィルフレッド・バデリー </li>
      <li>　1891年　 ウィルフレッド・バデリー </li>
      <li>　1890年　 ウィロビー・ハミルトン </li>
      <li>　1889年　 ウィリアム・レンショー </li>
      <li>　1888年　 アーネスト・レンショー </li>
      <li>　1887年　 ハーバート・ローフォード</li>
      <li>　1886年　 ウィリアム・レンショー </li>
      <li>　1885年　 ウィリアム・レンショー </li>
      <li>　1884年　 ウィリアム・レンショー </li>
      <li>　1883年　 ウィリアム・レンショー </li>
      <li>　1882年　 ウィリアム・レンショー </li>
      <li>　1881年　 ウィリアム・レンショー </li>
      <li>　1880年　 ジョン・ハートリー</li>
      <li>　1879年　 ジョン・ハートリー</li>
      <li>　1878年　 フランク・ハドゥ</li>
      <li>　1877年　 スペンス・ゴア</li>
 

</UL></div>




ウィンブルドン公式サイトより
http://www.wimbledon.org/en_GB/about/history/rolls/index.html











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   </content>
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   <title>ウィンブルドン女子シングルス歴代優勝者</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/030/post_3.html" />
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   <published>2007-04-11T16:31:34Z</published>
   <updated>2008-04-18T12:53:31Z</updated>
   
   <summary>１８８４年（男子は１８７７年）から１２３年続くウィンブルドンの女子シングルス歴代優勝者一覧です。

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      <![CDATA[１８８４年（男子は１８７７年）から１２３年続く<strong>ウィンブルドンの女子シングルス歴代優勝者一覧</strong>です。

]]>
      <![CDATA[<div class=block1>
<H3>ウィンブルドン女子シングルス歴代優勝者</H3>
<UL>
<li>　2007年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/venus.html">ヴィーナス・ウィリアムズ（アメリカ）</a> </li>
<li>　2006年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/mauresmo.html">アメリ・モレスモ（フランス）</a> </li>
<li>　2005年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/venus.html">ヴィーナス・ウィリアムズ（アメリカ）</a> </li>
<li>　2004年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/080/sharapova.html">マリア・シャラポワ （ロシアス）</a> </li> 
<li>　2003年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/serena.html">セリーナ・ウィリアムズ（アメリカ）</a> </li>
<li>　2002年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/serena.html">セリーナ・ウィリアムズ（アメリカ）</a> </li>
<li>　2001年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/venus.html">ヴィーナス・ウィリアムズ（アメリカ）</a> </li> 
<li>　2000年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/venus.html">ヴィーナス・ウィリアムズ（アメリカ）</a> </li>
<li>　1999年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/davenport.html">リンゼイ・ダベンポート（アメリカ）</a></li>
<li>　1998年　 ヤナ・ノボトナ（チェコ）</li> 
<li>　1997年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/hingis.html">マルチナ・ヒンギス（スイス</a>）</li> 
<li>　1996年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/graf.html">シュテフィ・グラフ（ドイツ）</a></li>
<li>　1995年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/graf.html">シュテフィ・グラフ（ドイツ）</a></li>
<li>　1994年　 コンチタ・マルチネス（スペイン）</li>
<li>　1993年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/graf.html">シュテフィ・グラフ（ドイツ）</a></li>
<li>　1992年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/graf.html">シュテフィ・グラフ（ドイツ）</a></li>
<li>　1991年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/graf.html">シュテフィ・グラフ（ドイツ）</a></li>　
<li>　1990年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html">マルチナ・ナブラチロワ（アメリカ）</a></li> 
<li>　1989年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/graf.html">シュテフィ・グラフ（ドイツ）</a></li>　
<li>　1988年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/graf.html">シュテフィ・グラフ（ドイツ）</a></li>　
<li>　1987年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html">マルチナ・ナブラチロワ（アメリカ）</a></li> 
<li>　1986年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html">マルチナ・ナブラチロワ（アメリカ）</a></li> 
<li>　1985年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html">マルチナ・ナブラチロワ（アメリカ）</a></li> 
<li>　1984年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html">マルチナ・ナブラチロワ（アメリカ）</a></li> 
<li>　1983 年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html">マルチナ・ナブラチロワ（アメリカ）</a></li> 
<li>　1982年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html">マルチナ・ナブラチロワ（アメリカ）</a></li> 
<li>　1981年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/evert.html">クリス・エバート（アメリカ）</a></li>
<li>　1980年　 イボンヌ・グーラゴング・コーリーグ（ ） </li>
<li>　1979年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html">マルチナ・ナブラチロワ（アメリカ）</a></li> 
<li>　1978年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html">マルチナ・ナブラチロワ（アメリカ）</a></li> 
<li>　1977年　 バージニア・ウェード（ ） </li>
<li>　1976年　 <a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/evert.html">クリス・エバート（アメリカ）</a></li>
<li>　1975年　 ビリー・ジーン・キング（アメリカ）</li>
<li>　1974年　<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/evert.html">クリス・エバート（アメリカ）</a></li>
 <li>　1973年　 ビリー・ジーン・キング（アメリカ）</li>
 <li>　1972年　 ビリー・ジーン・キング（アメリカ）</li>
      <li>　1971年　 イボンヌ・グーラゴング （オーストラリア） </li>
      <li>　1970年　 マーガレット・スミス・コート（オーストラリア） </li>
      <li>　1969年　 アン・ヘイドン・ジョーンズ （イギリス） </li>
      <li>　1968年　 ビリー・ジーン・キング（アメリカ）</li>
      <li>　1967年　 ビリー・ジーン・キング（アメリカ）</li>
      <li>　1966年　 ビリー・ジーン・キング（アメリカ）</li>
      <li>　1965年　 マーガレット・スミス（オーストラリア）</li>
      <li>　1964年　 マリア・ブエノ（ブラジル）</li>
      <li>　1963年　 マーガレット・スミス  （オーストラリア）</li>
      <li>　1962年　 カレン・サスマン （アメリカ）</li>
      <li>　1961年　 アンジェラ・モーティマー （イギリス）</li>
      <li>　1960年　 マリア・ブエノ（ブラジル）</li>
      <li>　1959年　 マリア・ブエノ（ブラジル）</li>
      <li>　1958年　 アリシア・ギブソン（アメリカ）</li>
      <li>　1957年　 アリシア・ギブソン（アメリカ）</li>
      <li>　1956年　 シャーリー・フライ （アメリカ）</li>
      <li>　1955年　 ルイーズ・ブラフ （アメリカ）</li>
      <li>　1954年　 モーリーン・コノリー （アメリカ）</li>
      <li>　1953年　 モーリーン・コノリー （アメリカ）</li>
      <li>　1952年　 モーリーン・コノリー （アメリカ）</li>
      <li>　1951年　 ドリス・ハート（アメリカ）</li>
      <li>　1950年　 ルイーズ・ブラフ （アメリカ）</li>
      <li>　1949年　 ルイーズ・ブラフ （アメリカ）</li>
      <li>　1948年　 ルイーズ・ブラフ （アメリカ）</li>
      <li>　1947年　 マーガレット・オズボーン（アメリカ）</li>
      <li>　1946年　 ポーリーン・ベッツ （アメリカ）</li>
      <li>　1945年　 開催せず</li>
      <li>　1944年　 開催せず</li>
      <li>　1943年　 開催せず</li>
      <li>　1942年　 開催せず</li>
      <li>　1941年　 開催せず</li> 
      <li>　1940年　 開催せず</li>
      <li>　1939年　 アリス・マーブル（アメリカ）</li>
      <li>　1938年　 ヘレン・ウィルス・ムーディ（アメリカ）</li>
      <li>　1937年　 ドロシー・ラウンド（アメリカ）</li>
      <li>　1936年　 ヘレン・ジェイコブス（アメリカ）</li>
      <li>　1935年　 ヘレン・ウィルス・ムーディ（アメリカ）</li>
      <li>　1934年　 ドロシー・ラウンド （アメリカ）</li>
      <li>　1933年　 ヘレン・ウィルス・ムーディ（アメリカ）</li>
      <li>　1932年　 ヘレン・ウィルス・ムーディ（アメリカ）</li>
      <li>　1931年　 シリー・オーセム （ドイツ）</li>
      <li>　1930年　 ヘレン・ウィルス・ムーディ（アメリカ）</li>
      <li>　1929年　 ヘレン・ウィルス・ムーディ（アメリカ）</li>
      <li>　1928年　 ヘレン・ウィルス・ムーディ（アメリカ）</li>
      <li>　1927年　 ヘレン・ウィルス・ムーディ（アメリカ）</li>
      <li>　1926年　 キティ・ゴッドフリー（イギリス）</li>
      <li>　1925年　 スザンヌ・ランラン （フランス）</li>
      <li>　1924年　 キティ・マッケイン （イギリス）</li>
      <li>　1923年　 スザンヌ・ランラン （フランス）</li>
      <li>　1922年　 スザンヌ・ランラン （フランス）</li>
      <li>　1921年　 スザンヌ・ランラン （フランス）</li>
      <li>　1920年　 スザンヌ・ランラン （フランス）</li>
      <li>　1919年　 スザンヌ・ランラン （フランス）</li>
      <li>　1918年　 開催せず </li>
      <li>　1917年　 開催せず </li>
      <li>　1916年　 開催せず</li>
      <li>　1915年　 開催せず </li>
      <li>　1914年　 ドロテア・ダグラス（イギリス）</li>
      <li>　1913年　 ドロテア・ダグラス（イギリス）</li>
      <li>　1912年　 エセル・トムソン・ラーコム（イギリス）</li>
      <li>　1911年　 ドロテア・ダグラス（イギリス）</li>
      <li>　1910年　 ドロテア・ダグラス（イギリス）</li>
      <li>　1909年　 ドラ・ブースビー（イギリス）</li>
      <li>　1908年　 シャーロット・クーパー（イギリス）</li>
      <li>　1907年　 メイ・サットン（アメリカ）</li>
      <li>　1906年　 ドロテア・ダグラス（イギリス）</li>
      <li>　1905年　 メイ・サットン（アメリカ）</li>
      <li>　1904年　 ドロテア・ダグラス（イギリス）</li>
      <li>　1903年　 ドロテア・ダグラス（イギリス）</li>
      <li>　1902年　 ミュリエル・ロブ（イギリス）</li>
      <li>　1901年　 シャーロット・クーパー（イギリス）</li>
      <li>　1900年　 ブランチ・ビングリー・ヒルヤード（イギリス）</li>
      <li>　1899年　 ブランチ・ビングリー・ヒルヤード（イギリス）</li>
      <li>　1898年　 シャーロット・クーパー（イギリス）</li>
      <li>　1897年　 ブランチ・ビングリー・ヒルヤード（イギリス）</li>
      <li>　1896年　 シャーロット・クーパー（イギリス）</li>
      <li>　1895年　 シャーロット・クーパー（イギリス）</li>
      <li>　1894年　 ブランチ・ビングリー・ヒルヤード（イギリス）</li>
      <li>　1893年　 ロッティ・ドッド（イギリス）</li>
      <li>　1892年　 ロッティ・ドッド（イギリス）</li>
      <li>　1891年　 ロッティ・ドッド（イギリス）</li>
      <li>　1890年　 レナ・ライス（アイルランド）</li>
      <li>　1889年　 ブランチ・ビングリー・ヒルヤード（イギリス）</li>
      <li>　1888年　 ロッティ・ドッド（イギリス）</li>
      <li>　1887年　 ロッティ・ドッド（イギリス）</li>
      <li>　1886年　 ブランチ・ビングリー（イギリス）</li>
      <li>　1885年　 モード・ワトソン（イギリス）</li>
      <li>　1884年　 モード・ワトソン（イギリス）</li>
      <li>　1883年　 男子のみ開催</li>
      <li>　1882年　 男子のみ開催</li>
      <li>　1881年　 男子のみ開催</li>
      <li>　1880年　 男子のみ開催</li>
      <li>　1879年　 男子のみ開催</li>
      <li>　1878年　 男子のみ開催</li>
      <li>　1877年　 男子のみ開催</li>
 

</UL></div>

ウィンブルドン公式サイトより
http://www.wimbledon.org/en_GB/about/history/rolls/ladiesroll.html










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   <title>錦織 圭（にしこり けい）：Nishikori Kei</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/080/nishikori_kei.html" />
   <id>tag:www.tennis-players.info,2007:/Wimbledon//3.1214</id>
   
   <published>2007-04-11T15:52:30Z</published>
   <updated>2008-04-18T12:53:00Z</updated>
   
   <summary> 錦織 圭 （にしこり けい）（Nishikori Kei）は、島根県松江市出身...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
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         <category term="080その他の国のテニスプレーヤー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="80" label="にしこり けい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="82" label="写真" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="81" label="画像" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="78" label="錦織 圭" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/">
      <![CDATA[<img alt="錦織 圭 にしこり けい　画像" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/nishikori.jpg"  />

<strong>錦織 圭 （にしこり けい）</strong>（Nishikori Kei）は、島根県松江市出身の男子プロテニス選手。</strong>

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      <![CDATA[■国籍 日本 

■出身国/居住国 日本島根県松江市/アメリカ・フロリダ州 

■生年月日 1989年12月29日 

■性別 男 

■利き腕 　右利き/バックハンド両手打ち

■身長 178 cm 

■体重 70 kg

■プロ転向日 2007年 

■2007年度最終ランキング 287位 


<strong>錦織　圭はIMGボロテリー・アカデミー所属。</strong>

開星中学校（卒業）→開星高等学校（中退）→青森山田高校通信課程東京校(編入）2年生に在籍している。

2008年2月17日、18歳2ヶ月でATPツアー初優勝を達成し、日本人男子選手として史上2人目の偉業を達成した。

5歳からテニスを始め、2001年に「全国小学生テニス選手権」で優勝。

2003年に渡米し、NBTA（ニック・ボロテリー・テニスアカデミー）に日本テニス協会盛田正明会長が運営する「盛田正明テニス・ファンド」の奨学金で留学する。

以降アメリカ合衆国フロリダを活動拠点としている。

2003年の「オレンジボウル選手権」（ジュニアテニスの世界選手権）14歳以下の部で準優勝した。

2006年全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、錦織はエミリアーノ・マッサ（アルゼンチン）とペアを組み、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。

この大会ではシングルスでも8強に入っている。

2007年7月にインディアナポリスで行われた「RCA選手権」で、<strong>日本人男子最年少のATPツアー8強に入り</strong>、世界ランキング27位のドミトリー・ツルスノフ（ロシア）と対戦した。

2008年2月17日、錦織はアメリカ・フロリダ州デルレイビーチでの「デルレイビーチ国際選手権」で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で第1シードのジェームズ・ブレーク（アメリカ、最高ランキング4位）を 3-6, 6-1, 6-4 で破り、ツアー初優勝を達成した。

日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に「韓国オープン」を制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙となった。

この優勝により、彼の世界ランキングは244位から一気に131位に上がった。
この快挙を昨今の「王子」ブームから「<strong>テニスの王子様</strong>」と称するマスコミもある。

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   <title>杉山　愛（すぎやま　あい）：Sugiyama　Ai</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/080/sugiyama.html" />
   <id>tag:www.tennis-players.info,2007:/Wimbledon//3.28</id>
   
   <published>2007-04-11T10:58:50Z</published>
   <updated>2007-04-22T13:07:59Z</updated>
   
   <summary> 杉山 愛（すぎやま あい）は、神奈川県横浜市出身の女子プロテニス選手。...</summary>
   <author>
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         <category term="080その他の国のテニスプレーヤー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="2" label="ウィンブルドン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="13" label="杉山愛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/">
      <![CDATA[<img alt="杉山愛　ウィンブルドン　イラスト" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Sugiyama.jpg"  />

杉山 愛（すぎやま あい）は、神奈川県横浜市出身の女子プロテニス選手。

]]>
      ■国籍 日本 

■出身国/居住国 日本/日本 

■生年月日 1975年7月5日 

■性別 女 

■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち) 

■身長 163 cm 

■体重 55 kg 

■プロ転向日 1992年 

自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス1位。

これまでにWTAツアーでシングルス6勝、ダブルス33勝を挙げる。

世界トップレベルのフットワークとバックハンド・ストロークを武器にする。


杉山愛はダブルスの名手としてよく知られ、1999年の全米オープン混合ダブルスではインドのマヘシュ・ブパシとペアを組んで優勝した。

2000年と2003年、杉山愛はダブルス世界ランキング1位を記録した。

杉山愛は、シングルスとダブルスの同時トップ10入りは日本人初であるとともに、世界でも限られたトップレベルのオールラウンド・プレーヤーであることを意味する。

2000年の全米オープン女子ダブルスで優勝した時の杉山愛のパートナーは、フランスのジュリー・アラール・デキュジスであった。

しかしアラール・デキュジスが直後に現役を引退したため、杉山愛は長い間パートナー探しに苦労を重ねた。

その後ベルギーのキム・クライシュテルスと名コンビぶりを発揮し、2003年の全仏オープンとウィンブルドンのダブルスで4大大会2連勝を達成する。

しかし、クライシュテルスがシングルスに専念するため、2003年のWTAツアー選手権を最後にペアを解消する。

杉山愛は再びパートナー探しに悩み、2004年は南アフリカのリーゼル・フーバーと組んだ。

その後、急遽ロシアのエレナ・デメンティエワをパートナーに指名したが、このコンビは臨時の組み合わせであった。

その後、杉山愛はスロバキアのダニエラ・ハンチュコワと組み、2006年の全仏オープンで決勝に進出したが、リサ・レイモンド（アメリカ）＆サマンサ・ストーサー（オーストラリア）組に敗れて準優勝になった。


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   <title>ジュスティーヌ・エナン：Justine Henin</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/henin.html" />
   <id>tag:www.tennis-players.info,2007:/Wimbledon//3.27</id>
   
   <published>2007-04-11T10:57:44Z</published>
   <updated>2007-04-22T13:07:24Z</updated>
   
   <summary> ジュスティーヌ・エナン（Justine Henin ）は、ベルギー・リエージュ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="070ヨーロッパのテニスプレーヤー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="2" label="ウィンブルドン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/">
      <![CDATA[<img alt="ジュスティーヌエナン　テニス" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Henin.jpg"  />

ジュスティーヌ・エナン（Justine Henin ）は、ベルギー・リエージュ出身の女子プロテニス選手。]]>
      ■国籍 ベルギー 

■出身国/居住国 ベルギー/ベルギー 

■生年月日 1982年6月1日 

■性別 女 

■利き腕 右利き 

■身長 167 cm 

■体重 57 kg 

■プロ転向日 1999年5月 


ジュスティーヌ・エナンは、12歳の時に母親が癌で亡くなり、父子家庭で育った。

最初の活躍は2000年の全米オープン3回戦で、人気選手のアンナ・クルニコワに圧勝した試合であった（次の4回戦で敗退）。



2001年全仏オープンで準決勝に進出、1歳年下のキム・クライシュテルスとの「ベルギー対決」に敗れる。

続くウィンブルドンではジュスティーヌ・エナンは決勝に進出、ヴィーナス・ウィリアムズに 1-6, 6-3, 0-6 で敗れて準優勝になった。

この一連の活躍で世界的な注目を浴び、ジュスティーヌ・エナンは、世界トップ10選手に定着する。

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   <title>マルチナ・ナブラチロワ：Martina Navrátilová</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/060/navratilova.html" />
   <id>tag:www.tennis-players.info,2007:/Wimbledon//3.23</id>
   
   <published>2007-04-11T10:48:55Z</published>
   <updated>2007-04-22T13:08:28Z</updated>
   
   <summary> マルチナ・ナブラチロワ（Martina Navrátilová）は、旧チェコス...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="060アメリカのテニスプレーヤー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="070ヨーロッパのテニスプレーヤー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/">
      <![CDATA[<img alt="マルチナナブラチロワ　ウィンブルドン" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Navratilova.jpg"  />

マルチナ・ナブラチロワ（Martina Navrátilová）は、旧チェコスロバキア・プラハ出身の女子プロテニス選手。

]]>
      <![CDATA[■国籍 アメリカ 

■出身国/居住国 チェコ/アメリカ 

■生年月日 1956年10月18日 

■性別 女 

■利き腕 左利き 

■身長 173 cm
 
■体重 65 kg 

■プロ転向日 1975年 


ウィンブルドン選手権の大会史上最多優勝記録（9勝）、WTAツアーの最多優勝記録（シングルス167勝、ダブルス177勝）など、数々の歴史的な記録を樹立した名選手である。

4大大会シングルス通算「18勝」はライバルのクリス・エバートと並ぶ女子歴代4位タイ記録。左利きの選手で、ネット・プレーを最も得意にしている。

1975年に故国を離れてアメリカに亡命し、1981年に米国市民権を取得した。



マルチナ・ナブラチロワは、1981年の全豪オープン優勝を契機に無敵の強さを発揮し始める。

1982年に全仏オープンとウィンブルドン選手権を制覇して4大大会3連勝。

この年からウィンブルドン選手権に前人未到の「6連覇」が始まる。

1983年のウィンブルドン選手権から1984年の全米オープンまで、2年間にまたがる4大大会「6連勝」を達成。しかし年末開催の全豪オープン準決勝でヘレナ・スコバに敗れ、“年間”グランドスラムを逃してしまう。（4年後の1988年にシュテフィ・グラフが年間グランドスラムを達成したため、ナブラチロワの2年間にまたがる記録は「グランドスラム」認定から取り消された。）

1987年にウィンブルドン選手権で6連覇を達成。

この時から彼女は1938年に同選手権「8勝」を挙げた往年の名選手、ヘレン・ウィルス・ムーディの記録を更新する目標を掲げた。

しかし1988年の同選手権決勝で19歳の新女王シュテフィ・グラフに敗れ、大会7連覇を逃した。

グラフには1989年の決勝でも敗れている。

1990年の決勝戦で黒人選手のジーナ・ガリソンに完勝し、宿願のウィンブルドン選手権「9勝」を果たす。

52年間大会歴代1位であったムーディの記録は、こうして破られた。

1994年を「シングルス最後の年」と位置づけたナブラチロワは、あまり得意ではないクレーコートの全仏オープンに6年ぶりの参加を決めたが、1回戦敗退に終わる。

最後のウィンブルドン選手権では4年ぶりの決勝に進出したが、スペインのコンチタ・マルチネスに敗れて大会10勝目を逃した。

同年11月の女子ツアー年間最終戦「バージニア・スリムズ選手権」において、女子テニス選手として初めての「引退式典」がナブラチロワの偉業を讃えて開催された。

38歳に至るまで第一線で活躍したナブラチロワは、世界ランキング4位で現役を退いた。

1997年に史上最年少で世界ランキング1位になった<a href="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/070/hingis.html">マルチナ・ヒンギス</a>が、「ナブラチロワにあやかって」命名されたことはよく知られている。

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   <title>クリス・エバート：Chris Evert</title>
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   <published>2007-04-11T10:46:07Z</published>
   <updated>2007-04-22T13:06:56Z</updated>
   
   <summary> クリス・エバート（Chris Evert）は、アメリカ・フロリダ州フォートロー...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="クリスエバート　テニス" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Evert.jpg"  />

クリス・エバート（Chris Evert）は、アメリカ・フロリダ州フォートローダーデール出身の元女子プロテニス選手。

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      ■国籍 アメリカ
 
■出身国/居住国 アメリカ/アメリカ 

■生年月日 1954年12月21日 

■性別 女 

■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち) 

■身長 168 cm 

■体重 56 kg 

■プロ転向日 1972年 
　

クリス・エバートは、コート上で全く表情を変えずにプレーしていたことから、“アイス・ドール”（氷の人形）というニックネームで呼ばれた選手だった。

全仏オープン「7勝」の大会最多優勝記録保持者であり、エバート自身もフランスが好きなことから「パリの恋人」とも称された。

4大大会シングルス通算「18勝」はライバルのマルチナ・ナブラチロワと並ぶ女子歴代4位タイ記録。

クリス・エバートは、WTAツアーでのシングルス通算「157勝」の歴代2位記録も保持している。

右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

フルネームは Christine Marie Evert （クリスティン・マリー・エバート）というが、「クリス・エバート」の名前で最もよく知られている。

“Chrissie”（クリッシー）という愛称で呼ばれることも多い。



クリス・エバートは、1972年12月21日、18歳の誕生日にプロ入りする。

1974年の全仏オープンで4大大会初優勝を果たし、続くウィンブルドンも初制覇。

この頃ジミー・コナーズ選手と交際したが、婚約破棄に終わる。

1975年-1978年に全米オープンで大会4連覇を達成した。

1979年にイギリスの男子プロテニス選手、ジョン・ロイドと結婚し、夫の姓を併用して「クリス・エバート・ロイド」（Chris Evert-Lloyd）と名乗るようになった。

クレーコート（赤土）「125連勝」の記録も樹立したが、1979年の全仏オープン前哨戦「イタリアン・オープン」の準決勝で、16歳の新星トレーシー・オースチンに敗れて記録が止まる。

同年の全米オープン決勝でもオースチンに敗れ、大会5連覇を逃した。

1980年代に入ってからは、クリス・エバートのライバルの座をマルチナ・ナブラチロワが占めるようになる。

2人は現役生活を通じて「80回」対戦し、最終的な対戦成績はナブラチロワの「43勝37敗」となった。

最後の4大大会優勝となった1986年の全仏オープンは「31歳5ヶ月」での制覇で、大会史上2番目の年長優勝記録となった。

1974年 - 1986年まで「13年連続」での4大大会優勝も女子テニス史上最長記録となる。

しかし、ジョン・ロイドと離婚した1987年に連続優勝記録が止まった。

この年にシュテフィ・グラフが世界ランキング1位となり、女子テニス界は世代交代期を迎える。

離婚後の1988年、全豪オープンでエバートは最後の4大大会決勝に進出したが、当時18歳のグラフに 1-6, 6-7 で敗れた。

これでクリス・エバートの4大大会女子シングルス決勝進出記録は「通算34度」＝「18勝16敗」で終わった。

決勝進出34度は女子歴代1位記録で、2位はマルチナ・ナブラチロワの32度（18勝14敗）、3位はシュテフィ・グラフの31度（22勝9敗）である。

最後まで“アイス・ドール”のイメージを守り続けたクリス・エバートは、1989年に35歳で現役引退を表明した。

最後の4大大会出場となった1989年全米オープンでは、準々決勝でジーナ・ガリソン（アメリカ）に 6-7, 2-6 で敗れた。

同年10月に日本の東京・有明コロシアムで行われた女子国別対抗戦「フェデレーション・カップ」（現在の名称はフェドカップ）でアメリカ・チームを優勝に導いたが、これがクリス・エバートの現役最後の試合となった。

クリス・エバートは、1995年に国際テニス殿堂入りを果たしている。


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   <title>シュテフィ・グラフ：Steffi Graf</title>
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   <published>2007-04-11T10:44:27Z</published>
   <updated>2007-04-22T13:10:41Z</updated>
   
   <summary> シュテフィ・グラフ（Steffi Graf）は、旧西ドイツ・ブリュール生まれの...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="シュテフィ・グラフ　ウィンブルドン" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Graf.jpg"  />

シュテフィ・グラフ（Steffi Graf）は、旧西ドイツ・ブリュール生まれの女子プロテニス選手。

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      ■国籍 ドイツ 

■出身国/居住国 ドイツ/アメリカ 

■生年月日 1969年6月14日 

■性別 女 

■利き腕 右利き
 
■身長 175 cm 

■体重 59 kg 

■プロ転向日 1982年 


シュテフィ・グラフは、本名は「シュテファニー・マリア・グラフ」（Stefanie Maria Graf）というが、「シュテフィ・グラフ」の名前で最もよく知られている。

2歳年上のボリス・ベッカーとともに、ドイツのテニス界の黄金時代を築いたスター選手である。

シュテフィ・グラフは、フォアハンド・ストロークの強打とバックハンド・スライスを武器にした選手で、ドイツでは“Fräulein Forehand”（フロイライン・フォアハンド、「フォアハンド嬢」の意味）と呼ばれた。

どんなサーフェス（表面）のテニスコートでも安定した強さを発揮する選手であり、テニス界屈指の実力派美人選手として人気も高かった。

WTAツアーでシングルス107勝（女子歴代3位）、ダブルス11勝を挙げた。


シュテフィ・グラフは、1982年10月に13歳4ヶ月の若さでプロ入り。

プロデビュー戦では、ドイツ・フィルダーシュタットの「ポルシェ・グランプリ」1回戦でトレーシー・オースチンに敗れた。

1984年のロサンゼルス五輪で、テニスは正式競技として復活する前に、21歳以下の選手による「公開競技」として行われ、当時15歳のグラフは第8シードから優勝を果たす。

1985年に初めて女子世界ランキングトップ10入りを果たしたが、グラフのWTAツアー初優勝は比較的遅く、1986年4月の「ヒルトンヘッド」大会でクリス・エバートを破った優勝から始まる。

この優勝を皮切りに、シュテフィ・グラフは1986年に女子ツアーで年間8勝を記録する。

1987年6月5日に全仏オープン決勝戦でマルチナ・ナブラチロワを 6-4, 4-6, 8-6 で破り、4大大会初優勝を達成。

その年の8月16日に世界ランキング1位となり、1991年3月11日まで「186週」連続世界1位の座を保持した。

1988年に19歳で女子テニス史上3人目の年間グランドスラムを達成する。

この年に開催されたソウル五輪でも金メダルを獲得し、その偉業は「ゴールデン・スラム」と称えられた。

「ゴールデン・スラム」達成は男女を通じてシュテフィ・グラフしかいない。


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   <title>マルチナ・ヒンギス：Martina Hingis</title>
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   <published>2007-04-11T10:43:59Z</published>
   <updated>2007-04-23T12:52:41Z</updated>
   
   <summary> マルチナ・ヒンギス（Martina Hingis）は、スイスの女子プロテニス選...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/">
      <![CDATA[<img alt="マルチナ・ヒンギス　ウィンブルドン" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Hingis.jpg"  />

<strong>マルチナ・ヒンギス</strong>（Martina Hingis）は、スイスの女子プロテニス選手。

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      <![CDATA[■国籍 スイス 

■出身国/居住国 スロバキア/スイス 

■生年月日 1980年9月30日 

■性別 女 

■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち) 

■身長 170 cm 

■体重 59 kg 

■プロ転向日 1994年 


<strong>マルチナ・ヒンギス</strong>は、チェコスロバキア（現スロバキア）のコシツェに生まれる。

右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

安定したバックハンドのストレートを武器にする、融通のきく頭脳プレーの名手である。

<strong>マルチナ・ヒンギス</strong>は早熟選手であったことから、女子テニス界における数々の最年少記録を保持している。

16歳の時に達成した4大大会初制覇（1997年全豪オープンに16歳3ヶ月で優勝）、世界ランキング1位（16歳6ヶ月）、4大大会年間3冠獲得はすべて歴代最年少記録である。


<strong>マルチナ・ヒンギス</strong>は、1994年10月14日、14歳の誕生日の2週間後にプロデビュー。

直ちに1995年の全豪オープンで4大大会に初出場を果たし、同年の女子テニス協会「最優秀新人賞」を受賞する。

1996年10月にドイツ・フィルダーシュタットの「ポルシェ・グランプリ」でWTAツアー初優勝。

女子ツアー年間最終戦（当時の名称は「チェイス選手権」）に大会初出場で準優勝、年末の最終ランキングを4位に上げる。

<strong>1997年1月25日、4大大会史上最年少の「16歳3ヶ月」で全豪オープン初優勝を達成。</strong>

同年3月31日に「16歳6ヶ月」で史上最年少の世界ランキング1位になり、こうしてヒンギスはモニカ・セレシュが持っていた2つの最年少記録を更新した。（セレシュの記録：1990年全仏オープンに16歳6ヶ月で優勝、1991年3月に17歳3ヶ月で世界ランキング1位）

その後、<strong>マルチナ・ヒンギス</strong>は、ウィンブルドン、全米オープンも制覇し、史上最年少の16歳で4大大会3冠を達成した。

ヒンギスは少女時代から日本での広告出演で人気を獲得し、グリコの「カフェオーレ」（1996年）やタニタのヘルスメーター、日本食研の「バランスデイト」（ともに1998年）のテレビCMで日本語を披露したことで、日本でも人気のある選手である。

しかしながら、あまりにも早くして頂点に上り詰めたせいか、ヒンギスは徐々にテニスへの情熱を失っていく。

この頃から女子テニス界は、リンゼイ・ダベンポートやヴィーナス、セリーナのウィリアムズ姉妹などのパワーテニスの時代になりつつあった。

情熱を失ったヒンギスは、彼女たちに押されてゆき、少しずつテニス成績が降下していった。

1999年全豪オープンを最後に、<strong>マルチナ・ヒンギス</strong>は4大大会のシングルス優勝から見放されてしまう。

唯一優勝がない全仏オープンでは、1997年の決勝ではクロアチアのイバ・マヨリに 4-6, 2-6 のストレートで敗れ、2年後の1999年にはシュテフィ・グラフとの“新旧女王対決”の決勝で 6-4, 5-7, 2-6 の逆転で敗れてしまった。

全豪オープンではシングルスで「6年連続」決勝進出の記録を持つが（1997年 - 2002年）、最初は大会3連覇、後は3年連続準優勝になっている。

2002年の全米オープン4回戦でモニカ・セレシュに完敗した後、2002年10月にドイツ・フィルダーシュタットの「ポルシェ・グランプリ」2回戦敗退を最後にツアーから離れ、2003年の全豪オープンの時期に新聞を通じて引退表明を行った。

それ以後は日本で開催される「ヨネックス・テニス・フェスティバル」に参加するなど、競技とは異なる分野でテニス振興活動を続けてきたが、2005年11月に次年度からの現役復帰を表明する。

その後、2006年1月にオーストラリア・ゴールドコーストの「モンディアル・オーストラリア女子ハードコート選手権」で現役復帰を果たし、フラビア・ペネッタ（イタリア）との準決勝まで勝ち進む。

全豪オープンで4大大会にも復帰し、1回戦でロシアのベラ・ズボナレワに快勝して再出発を飾り、第2シードのキム・クライシュテルスとの準々決勝まで勝ち進んだ（スコア：クライシュテルスの 6-3, 2-6, 6-4）。

2月の東レ・パン・パシフィック・テニス（東京体育館開催）にも4年ぶりに出場し、準決勝でマリア・シャラポワを 6-3, 6-1 で圧倒したが、2月5日の決勝戦でエレナ・デメンティエワに 2-6, 0-6 で敗れた。

3ヶ月後の5月21日、イタリア・ローマで行われた「イタリア国際選手権」決勝でディナラ・サフィナ（マラト・サフィンの妹）を 6-2, 7-5 で破り、復帰5ヶ月目で復活優勝を飾った。

5年ぶりの復帰となった全仏オープンでは第12シードを得たが、準々決勝でクライシュテルスに 6-7, 1-6 で連敗した。

その後はウィンブルドン3回戦で杉山愛に敗れ、全米オープンは2回戦で止まったが、8月下旬の「カナダ・マスターズ」準優勝で世界ランキングトップ10にも復帰した。

2007年の全豪オープンでは、2年連続でクライシュテルスに準々決勝で敗れたが、東レ・パン・パシフィック・テニスの決勝でアナ・イワノビッチ（セルビア）を 6-4, 6-2 で破り、大会最多の5度目の優勝を遂げた。

3月初頭にはカタール・ドーハ大会のダブルスでマリア・キリレンコ（ロシア）とペアを組んで優勝し、復帰後のダブルス初優勝を果たした。]]>
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   <title>ヴィーナス・ウィリアムズ：Venus Williams</title>
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   <id>tag:www.tennis-players.info,2007:/Wimbledon//3.18</id>
   
   <published>2007-04-11T10:42:51Z</published>
   <updated>2007-04-22T13:12:12Z</updated>
   
   <summary> ヴィーナス・ウィリアムズ（Venus Williams）は、アメリカ・カリフォ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/">
      <![CDATA[<img alt="ヴィーナス・ウィリアムズ　ウィンブルドン" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Venus.jpg"  />

ヴィーナス・ウィリアムズ（Venus Williams）は、アメリカ・カリフォルニア州リンウッド出身の女子プロテニス選手。

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      ■国籍 アメリカ 

■出身国/居住国 アメリカ/アメリカ 

■生年月日 1980年6月17日 

■性別 女 

■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち) 

■身長 185 cm 

■体重 72 kg 

■プロ転向日 1994年 


ヴィーナス・ウィリアムズは、5人姉妹の4女として生まれる。

1994年10月、同じ年のマルチナ・ヒンギスと同時期に14歳でプロ転向。

しかし学業を優先する父親リチャードの教育方針により、最初の2年間は出場試合数を絞っていた。

1997年3月からヴィーナス・ウィリアムズはWTAツアーに本格参戦を開始。

同年の全仏オープンで4大大会にデビューする（1回戦の相手は日本の沢松奈生子選手であった）。

1997年の全米オープンで、世界ランキング66位のノーシードから決勝進出。

ヒンギスに 0-6, 4-6 で完敗したが、黒人少女の登場は強烈な印象を与えた。

この頃から妹のセリーナ・ウィリアムズとともに、黒人スポーツ選手として“テニス版タイガー・ウッズ”を目標にしてきた。


ヴィーナス・ウィリアムズは1998年3月に世界トップ10入り。

1999年3月の「リプトン国際選手権」で、妹セリーナと初めての“姉妹対決の決勝”を戦う。

セリーナが1999年の全米オープンで優勝したため、4大大会優勝では妹に先を越されたが、ヴィーナスは2000年のウィンブルドン選手権で4大大会初優勝を果たした（この時は準決勝でセリーナと姉妹対決をしている）。

同年の全米オープンで4大大会に2連続優勝。シドニー五輪でも単複の金メダルを獲得し、シングルス「35連勝」を記録した。

2001年もウィンブルドンと全米オープンで大会2連覇。

2001年の全米オープンで、姉妹の宿願であった「4大大会の姉妹対決決勝」を実現させる。

最初の時は姉のヴィーナスが勝利した。

2002年2月、黒人の女子テニス選手として初の世界ランキング1位になる。

しかしこの頃から妹セリーナとの力関係が逆転し始めた。

2002年全仏オープンから2003年全豪オープンまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝を実現させるが、妹セリーナに4連敗を喫してしまう。

2003年のウィンブルドンでも決勝でセリーナに敗れた。

その後姉妹2人ともに体調を崩し、2003年度テニス・ツアーの後半戦を欠場する。

姉のヴィーナスは2004年1月からツアーに復帰したが、しばらく4大大会で不本意な早期敗退が続いていた。

しかし2005年のウィンブルドンで復活を遂げ、4年ぶり3度目の優勝を飾る。

第14シードの低位置から勝ち進み、準決勝で大会前年優勝者のマリア・シャラポワに快勝し、決勝戦では（5年前の初優勝と同じ顔合わせ）リンゼイ・ダベンポートに 4-6, 7-6, 9-7 で競り勝った。

ヴィーナス・ウィリアムズの最大の武器は、時速200kmを超える高速サーブである。

最大のライバルであるマルチナ・ヒンギスの頭脳プレーに打ち勝つため、持ち前の体格で強力なパワーテニスを編み出してきた。

そのため、姉妹ともに多くの故障に悩まされてきた。


姉妹の4大大会ダブルス優勝は6度あり、シドニー五輪のダブルス金メダルも獲得した。

初めて姉妹ダブルスで4大大会に出場した1998年全豪オープンでは、3回戦で日本の雉子牟田直子＆宮城ナナ組に敗れている。

1999年全仏オープンの女子ダブルス決勝でマルチナ・ヒンギス＆アンナ・クルニコワ組を破って初優勝して以来、姉妹で組めば無敵の強さを誇ってきた。

しかし、2003年のウィンブルドン女子ダブルス3回戦で、姉妹はロシアペアのエレナ・デメンティエワ＆リナ・クラスノルツカヤ組に敗退した。

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   <title>セリーナ・ウィリアムズ：Serena Williams</title>
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   <published>2007-04-11T10:42:16Z</published>
   <updated>2007-04-22T14:42:38Z</updated>
   
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         <category term="060アメリカのテニスプレーヤー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/">
      <![CDATA[<img alt="セリーナ・ウィリアムズ　似顔絵　ウィンブルドン" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Serena.jpg"  />


セリーナ・ウィリアムズ（Serena Williams）は、アメリカ・ミシガン州サギノー出身の女子プロテニス選手。

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      ■国籍 アメリカ 

■出身国/居住国 アメリカ/アメリカ 

■生年月日 1981年9月26日 

■性別 女 

■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち) 

■身長 175 cm 

■体重 59 kg 

■プロ転向日 1995年 


セリーナ・ウィリアムズは、5人姉妹の5女として生まれる。

4女の姉ヴィーナス・ウィリアムズとともに、女子テニス界に「パワーテニス」を持ち込んだ選手として知られている。

彼女はテニスの歴史を通じて、シングルス・ダブルスともに「キャリア・グランドスラム」を達成した数少ない女子選手の1人でもある。


セリーナ・ウィリアムズは、1999年2月末の「パリ・インドア選手権」と3月前半の「エバート・カップ」で2大会連続優勝を飾り、続く「リプトン国際選手権」で姉ヴィーナスとの“姉妹対決の決勝”に敗れたが、「16連勝」を挙げて世界の舞台に名乗りを上げた。

1999年の全米オープンで、「17歳11ヶ月」の若さで4大大会初優勝を達成。

決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-3, 7-6 で破り、1958年全米オープンのアリシア・ギブソン（1927年 - 2003年）以来2人目の黒人女性チャンピオンとなった。（ギブソンは1957年と1958年の全米選手権で大会連覇を達成した人である。）

姉よりも早くシングルス初優勝を決めたが、ヴィーナスは2000年のウィンブルドン選手権で妹に追いついた。

セリーナはその後、しばらく姉ヴィーナスの活躍の陰に隠れていた。

2001年の全米オープンで初めて「4大大会の姉妹対決決勝」を実現させるが、最初の時は姉に 2-6, 4-6 で敗れている。

2002年の全仏オープンから2003年の全豪オープンまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝を実現させ、妹のセリーナが4連勝を果たした。

テニス4大大会の4連勝はシュテフィ・グラフ以来6人目の偉業達成となった（グラフは1988年に女子テニス史上3人目の「年間グランドスラム」を達成したが、1993年全仏オープンから1994年全豪オープンまでの4連勝も記録している）。

この偉業を本人が「セリーナ・スラム」と命名した（姉妹が憧れてきたゴルフのタイガー・ウッズのメジャー大会4連勝が、同じく2年間にまたがる記録として“タイガー・スラム”と呼ばれたので、それにあやかっての命名であろう）。

しかし2003年全仏オープンの準決勝でジュスティーヌ・エナン・アーデンに敗れて連勝記録が止まる。

続くウィンブルドン選手権でもう1度姉妹対決の決勝を戦い、この時も妹のセリーナが勝利した。

これで姉妹対決の決勝戦は、妹セリーナの「5勝1敗」となった。その後姉妹2人ともに体調を崩し、2003年度テニス・ツアーの後半戦を欠場した。

セリーナは2004年のウィンブルドン選手権決勝で17歳のマリア・シャラポワに敗れ、大会3連覇を逃した。

しかし2005年の全豪オープン決勝でリンゼイ・ダベンポートを破り、2年ぶり2度目の優勝を果たす。

2006年は故障のため試合出場が少なかったが、2007年の全豪オープンでは世界ランキング81位のノーシードから勝ち上がった。

決勝で（3年前のウィンブルドン決勝で敗れた）マリア・シャラポワを 6-1, 6-2 で破り、3度目の全豪優勝を達成。これでセリーナの4大大会シングルス優勝は「8勝」となった。

全豪オープンの女子シングルスでノーシードから優勝した選手は、1978年の優勝者クリス・オニール（オーストラリア）以来である。

セリーナ・ウィリアムズは姉のヴィーナスとともに、女子テニス界にパワーテニスを持ち込んだ選手であると言われる。

彼女たちのショットを見て“女子テニスの中に男子が混じっているようだ”と評されたことさえあるほどである。

特に、サービスのスピードは男子選手並みである。

とはいえ、姉妹でダブルスでのキャリア・グランドスラムを達成したことからも分かるように、パワー一辺倒のプレーではなく、様々なショットをバランス良くこなし、その中で強打を生かすというプレーが見られる。


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   <title>マリア・シャラポワ：Maria Sharapova</title>
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   <published>2007-04-11T10:40:49Z</published>
   <updated>2007-06-30T06:26:43Z</updated>
   
   <summary> マリア・シャラポワ （Maria Sharapova）は、ロシア・西シベリアに...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="マリア・シャラポワ　　似顔絵　ウィンブルドン" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Sharapova.jpg"  />

マリア・シャラポワ （Maria Sharapova）は、ロシア・西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区・ニャガン市出身の女子プロテニス選手である。]]>
      
■国籍 ロシア 

■出身国/居住国 ロシア/アメリカ 

■生年月日 1987年4月19日
 
■性別 女 

■利き腕 右利き (バックハンド両手打ち) 

■身長 188 cm 

■体重 59 kg 

■プロ転向日 2001年 


ニックネームは「ロシアの妖精」。

左利きだったというが、矯正で両方使える。

バックハンド・ストロークは両手打ち。

ロシア語人名の日本語表記に即したより正確な読みは「マリーヤ・ユーリイヴナ・シャラーパヴァ」になるが、彼女の名前の転写は世界の各言語でも様々である。

4歳の時からテニスを始める。

6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見い出され、7歳の頃父親とともに渡米した。

ただし、ナブラチロワはこの時のことを後日談で「全然記憶にない」と話している。

ずば抜けた才能と言うよりも、センスを磨き練習で培った実力というべきなのであろう。

渡米後はフロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて練習開始。

現在はフロリダ州ブラーデントンに在住している。


マリア・シャラポワは2003年のウィンブルドン3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチを破り、一躍時の人になった。

この大会では続く4回戦で同じロシアの選手、スベトラナ・クズネツォワに敗れた。

2004年には全仏オープンで準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで初優勝を飾り、1997年のマルチナ・ヒンギス（16歳9ヶ月）に次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録を樹立した。

女子テニスで18歳未満の選手が4大大会を制したのは、1999年全米オープンのセリーナ・ウィリアムズ（17歳11ヶ月）以来であった。

2005年は、2月に東京体育館で開催された東レ・パン・パシフィック・テニスにおいてリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。

しかし、ウィンブルドンでは準決勝でヴィーナス・ウィリアムズに 6-7, 1-6 で敗れ、大会2連覇はならなかった。
同年8月22日、ロシアの女子テニス選手としては初めて世界ランキング1位となる。

また、大会のグレードがTier III（ティア3）であるAIGジャパン・オープンについては、2005年度以降WTAの世界ランキングの規定により出場する権利がなくなった。

2006年2月4日、東レ・パン・パシフィック・テニス準決勝で当年度から現役復帰したマルチナ・ヒンギスに 3-6, 1-6 で敗れ、大会連覇を逃した。（その後ヒンギスには3月上旬の「インディアンウェルズ・マスターズ」で勝った。）

2007年の大会では、全豪オープン決勝でセリーナ・ウィリアムズに完敗した試合の直後でもあり、脚の不調もあってサービスが乱れた。

2月3日の準決勝でセルビアのアナ・イワノビッチと対戦した時、第1セットを 1-6 で落とした後メディカル・タイムアウトを取り、第2セットの第1ゲーム終了後に途中棄権を申し出た。


マリア・シャラポワは、テニスプレーヤーとは別にファッションモデルとしても活躍しており、ファッション雑誌の人気も高い。

2004年の東レ・パン・パシフィック・テニスとウィンブルドン3回戦で実現したダニエラ・ハンチュコワとの“美少女対決”はどこでも抜群の観客動員力がある。 

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   <title>アメリ・モレスモ：Amélie Mauresmo</title>
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   <published>2007-04-11T10:40:01Z</published>
   <updated>2007-04-23T12:25:30Z</updated>
   
   <summary> アメリ・モレスモ（Amélie Mauresmo）は、フランス・サン＝ジェルマ...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="アメリ・モレスモ　ウィンブルドン" src="http://www.tennis-players.info/Wimbledon/images/Mauresmo.jpg"  />

アメリ・モレスモ（Amélie Mauresmo）は、フランス・サン＝ジェルマン＝アン＝レー出身の女子プロテニス選手。

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      ■国籍 フランス 

■出身国/居住国 フランス/スイス 

■生年月日 1979年7月5日 

■性別 女 

■利き腕 右利き 

■身長 175 cm 

■体重 69 kg 


アメリ・モレスモは、2006年の全豪オープンで、ついに宿願の4大大会初優勝を達成した。

これまでにWTAツアーでシングルス24勝、ダブルス2勝を挙げる。

アメリ・モレスモは、パワーテニスの代表的な選手の一人で、独特な片手打ちバックハンド・ストロークが最大の武器である。

そのたくましい男性的な風貌から「女ランボー」というニックネームで呼ばれている。

1999年の全豪オープンで準優勝。

世界ランキング29位のノーシードから勝ち進んだ決勝戦で、
大会3連覇を目指したマルチナ・ヒンギスに 2-6, 3-6 で敗れる。

好不調の波の大きい選手だったが、2002年頃から世界ランキングトップ10に定着した。

2004年のアテネ五輪で女子シングルスの銀メダルを獲得。

決勝ではジュスティーヌ・エナン・アーデンに 3-6, 3-6 で敗れた。

この後、アメリ・モレスモは2004年9月13日付で、フランス人の女子テニス選手として初めての世界ランキング1位を記録した。

2005年は年間最終戦の「WTAツアー選手権」決勝で同じフランスのマリー・ピエルスを 5-7, 7-6, 6-4 で破り、フランス人の女子テニス選手として初めての優勝を飾った。

2006年の全豪オープンで、アメリ・モレスモは第3シードとして7年ぶり2度目の決勝進出を果たす。

決勝戦の途中でジュスティーヌ・エナン・アーデンが棄権したため（スコア：モレスモの 6-1, 2-0 で棄権）、モレスモはついに宿願の4大大会初優勝を飾った。

フランス人の女子テニス選手による4大大会シングルス優勝は、2000年全仏オープンを制したマリー・ピエルス以来の偉業となる。

ピエルスは1995年全豪オープンの優勝者でもあり、フランス人女性の全豪オープン制覇は11年ぶりとなった。

同年のウィンブルドンで再びエナン・アーデンと決勝対決し、全仏オープン優勝者のエナンを 2-6, 6-3, 6-4 の逆転で破って初優勝。

アメリ・モレスモ自身にとっては4大大会の年間2冠獲得達成と同時に、フランス人の女子テニス選手として1925年のスザンヌ・ランラン（1899年 - 1938年、ウィンブルドン選手権に1920年から1925年まで6連覇を達成）以来、実に81年ぶりの優勝となった。


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